2013年10月13日日曜日

Ted の高校3年のときの創作「逍遥試し」(5)

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 《馬鹿なことを考えていたものだ》と常夫は思った。まだ、雨は降り出していなかった。《映像の展開ということを実験したようなものだった。いまさら実験するまでもなく、これは私の幼い頃からの癖ではなかったか。想念の逍遥、独りでいるときの想念の漫歩は…。いや、こういう習慣を持つのは、私ばかりではあるまい。私はその逍遥の中でいろいろな行動をした。よいものもあれば、悪いものもあった。しかし、常に新しいものだった。想念は、よかれ悪しかれ、いつも私の先導者だった。反省といったものも、これによって行われた。
 《これは明らかに、一つの道具だ。創造的な道具だ。――何だか分かりかけて来たぞ。――これが自由に働き得るのは、…》このとき、本当に雨が降って来た。常夫は腕時計を見てはっとした。ケートと別れてから一時間近く歩いていたことを知ったからだ。《彼女は、とっくに目的地へ着いて待っているだろう。もう少しだ。》彼は駆けた。


 谷川の音が聞こえて来た。ぽっかりと格好な入口が、びっしり立ち並ぶスギ木立の間に開けて、彼を迎えた。《おや? いない。》彼は重いものが胸に突き当たるのを感じた。谷川の流れは藍色になって、砕け、砕けて、足下を走っている。
 「ケート!」
と呼んだ。答えはない。
 雨と渓流のリズムだけが、つれなく続いている。
 暗いものが頭をかすめる。


 もう一度呼んでみた。すると、
 「ほほほ。」
という笑い声が、後ろから彼を捕まえた。
 「何だ。びっくりさせるじゃないか。」
 「あまり遅いからよ。」
 「川へでも落ちてしまったのかと思った。」
 「ずいぶん濡れたのね。」
 「君は、…いいよ、いいよ、…君はどうして濡れなかったのだ?」
常夫はケートがハンカチで顔を拭いてくれようとするのをさえぎりながら聞いた。
 「ほら、あそこに。」
 「なるほど。いい洞(ほら)があったね。」
 「ふふふ。…それ何?」
常夫が自分のハンカチと一緒にポケットからつまみ出した紙片を、彼女はとっさに取り上げた。常夫はそれを取り返そうとして手を伸ばした。
 「『最も貴重なものは人間の孤独な心のうちにある。』…あっ、これですね。こんな行動をわたしたちに取らせたのは。」
 「あ、そうだ。想像の糧をこねるヘラである想念の活動が可能なのは、『孤独』の中においてだ。なぜなら、そのヘラは、自らが握らないときには、ヘラとして働かないものなのだから。そのヘラを振るう工程が頭の孤独な逍遥だ。」
 「何を寝言のようなこといってるの。想像をこねるヘラだなんて。」
 「そう怒るなよ。…それで、ことばが理想的には方便に過ぎないとも考えられる、ということが分かるわけだ。」
 「少しも分かりません。」
 「まあ、いいさ。」
 「いえ、分かります。わたしが経験の堆積物を彫る『ノミ』といったのに似たものでしょう?
 「うーむ。それと同じかも知れない。ぼくは回り道をして、やっと君の考えにたどり着いたのだ。……」
 雲が切れて、彼らのささやかな「円形劇場」へ日が射し込んだ。雨は七色に輝きながら、軽く降り続けている。紙切れを媒介にしてケートと手を取り合っていたことに気づいた常夫は、《われわれは、いま、こうしてことばを使わないで語っている。そうすると、われわれはこの瞬間に何を創造していることになるのだろう。…そうだ。われわれの胸の中に…。いや、これは自分勝手な思いかも知れない。…》などと考えていた。(注 1)[完]

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 この一文を S. M. 君 (注 2)に捧げる。――われわれの間の日記の交換によることばの生活から得た思索の最初の一成果として。――

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 [以下は、この創作の下書きを記してあった Sam との交換日記の文章 ]
 最後の 2 行は、ちょっと体裁をつけるために表紙の裏に書くつもりのものだ。一成果というほどのものでもないかも知れないし、最初の成果でもないかも知れないが…。昨年「夏空に輝く星」を書いた後に記したようないろいろな弁解は書かないから、これを厳しく批判してくれ給え。(1953 年 8 月 9 日、8:10)
2006年にブログに掲載したときの注
  1. 薄紺色の文字の部分は、引用に当たって付け加えた。(下書きの出来た部分から順次原稿用紙に清書していたので、制限枚数20枚に近づいたことを知ったためか、完成を急いだのか、終りへ来てやや記述の飛躍、あるいは説明不足が目立った。)そのほか、言い回しについては、ところどころ修正をした。特に、ケートの話し方が「てよ・だわ式」になっていた部分は、1950年代にしても古風過ぎると思われたので、書き換えた。
  2. S. M. は Sam の本名の頭文字。

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