2013年10月5日土曜日

Sam の創作「橋」への感想 (1)


友人たちとの文通記録

Ted から Sam へ: 1959 年 12 月 29 日
 引用に当たって:Sam は社会人としての 6 年目、私は京都で大学院修士課程 2 年に在学していた年の冬休み、私が帰省して Sam に会ったときに、彼は、高校 3 年のときに書いた創作が掲載されている校誌(あるいは生徒会発行の文芸誌)を初めて貸してくれた。彼の作品への感想を記した手紙を無罫の便箋に鉛筆書きで写したものが、日記代わりに保存してあったのを、ここに紹介する。
 上掲のイメージはその 1 ページ目である。ご覧のように、段落の区切りのない文(作品からの引用部分を除いて)が、2 ページ半ほども続く書き方で、全 4.5 ページにおよぶが、ここでは区切りをつけるなどして、読みやすくし、何回かに分けて掲載する。

 君の手紙にあった悩みのその後の心境について、「あきらめた」という返答を聞かされたのは、何だかあっけなくて興ざめだったが、その代わり、六年前の君の作品を読ませてもらえることになったのは、昨日の大きな収穫だった。

 題と筆名だけから、どれが君のものか見当がつくとのことだったから、まず目次で探そうとしたが、分りにくかった。それで、各作品の初めの一、二行に目を通してみることにした。

 「折口先生を偲ぶ」は問題外である。日記体の「いのち」は、ちょっと注意を引いた。初めの二行は、ひところの私の文章にかなり近い文体だ。しかし、君の匂いはあまりしない。この作品の最後のページを見ると、急性脳腫瘍などとある。これは違うだろう。次の作品は、ページを埋めている字づらが、全然、君の雰囲気ではない。読んでみるまでもない。

 それから少し何げなくとばして、この本の中ほどを開く。「アリャサッサッサ」とある。初めの一行はどうだろうと、ページを返すと、われわれの間でかつて交わされた言葉が出ている。「さたけ しんこう」と読んで過ごしそうな筆名だったため、目次では気づかなかったのだ。昨日の帰り道、当時の君の筆名ならば Something に関係がなければならないとは、考えていたのだったが。(注 1)[つづく]
引用時の注
  1. 高校時代の交換日記をブログへ引用する際に、S・M 君のニックネームを Sam としているが、実際に日記帳に書いていたのは Something、略して Some だった。彼は Something をもじって「佐武深紅」のペンネームで投稿したのである。

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